はじめに 日露戦争後の知的言説による朝鮮表象はさまざまな形態をとって編まれる。日韓合併にいたる対韓国政策論、自然発生的に広がる民間の殖民熱に乗じて生産される実業マニュアル、旅行・紹介記による観光案内、...
自己を問うことは他者を問うことでもある。西欧近代思想において、世界認識の主体である近代的自己がその対象に何らかの異質性を認める20世紀以来、自己は他者との緊張関係において改めて主題化される。そこでは、...
目の前に自分の死が見えたとき、人はその死までの時間をどのように生きるだろうか。「平家物語」は、清盛という超越した個性によって急激に隆盛した力が、東国に蜂起した源氏勢に攻め滅ぼされるという平家一門の栄華...
われわれ人間を世界内存在として規定するための方法論的通路としてハイデガーが選びとったのは、周囲世界ないし環境世界(Umelt)の分析である。われわれと世界との結びつきが不可欠であるということは、生きて...
前号までに引き続き、E・トゥーゲントハットの『論理学講義』(Ernst Tugendhats Vorlesungen uber Ethik 1993)を紹介する。今回は第十五講義「アダム・スミスを手が...
よく知られているように、カントは「判断力批判」において、趣味判断を下すさいに関心が混入することを拒否し、いわゆる趣味の無関心性を要求している。つまり趣味判断は、無関心な満足に基づいて下されなければなら...
情報技術の進展などにより、ビジネスを取り巻く社会環境は急速に変化している。企業不祥事の報道が後を絶たないが、それは企業不祥事自体が増加しえいるからというのではなく、不祥事が暴露される件数が多くなり ....
本論は、「我れは心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(1)という結語をもって、政治・経済や思想・文化など一切の領域において「アジア」から離脱し、ついては中国起源の儒教思想を決定的に捨像し、あ...
アメリカでは、コミュニティの活性化に図書館が不可欠であり、それが民主主義を保障するという認識が広く共有されている。そうした期待を受けて、司書たちがいかに専門的スキル-ライブラリアンシップ-を発揮してき...
前号に引き続き、トゥーゲントハット「論理学講義」(Ernst Tugendhat, Vorlesungen uber Ethik 1993)を紹介する。これまで、第一講義、第二講義、第五講義を、それぞ...
環境問題に具体的な処方を提示するものとして、環境経済学が注目を集めている。本稿では、この新しい学問分野に焦点を当て、その考え方に含まれる問題点について検討することにしたい。環境経済学の根本にあるのは、...
中世の科学者たちは、もっぱら古典的文献の注釈にふけっていた。それに対して技術者たちは、実験と発明に凝っていて、互いに通ずるところがなかった。これが、ルネサンスにおいて、どのようになったのであろうか。 ...
かつて信奉していたヘーゲル的観念論から離脱したラッセルは、ほとんどあらゆる種類のものの存在を認めることによって彼独自の哲学活動を本格的に開始したが、やがて大きな転機を迎え、一つの重要な種類のものを自身...
「倫理学とは何か」を問う場合、ひとまず次のように答えることができるであろう。「できること」を「してもよいかどうか」問うのが倫理学である、あるいは、可能な選択肢のうち、どれが最善であるかを問うのが倫理学...
小説家が文学という手法を取りながら哲学を論じることはあるし、哲学の専門家がフィクションという形をとって哲学について論じることもある。また思想史は哲学と呼ばれる学問の一分野であり、歴史をたどりながら ....
はじめに 日露戦争後の知的言説による朝鮮表象はさまざまな形態をとって編まれる。日韓合併にいたる対韓国政策論、自然発生的に広がる民間の殖民熱に乗じて生産される実業マニュアル、旅行・紹介記による観光案内、...
自己を問うことは他者を問うことでもある。西欧近代思想において、世界認識の主体である近代的自己がその対象に何らかの異質性を認める20世紀以来、自己は他者との緊張関係において改めて主題化される。そこでは、...
目の前に自分の死が見えたとき、人はその死までの時間をどのように生きるだろうか。「平家物語」は、清盛という超越した個性によって急激に隆盛した力が、東国に蜂起した源氏勢に攻め滅ぼされるという平家一門の栄華...
われわれ人間を世界内存在として規定するための方法論的通路としてハイデガーが選びとったのは、周囲世界ないし環境世界(Umelt)の分析である。われわれと世界との結びつきが不可欠であるということは、生きて...
前号までに引き続き、E・トゥーゲントハットの『論理学講義』(Ernst Tugendhats Vorlesungen uber Ethik 1993)を紹介する。今回は第十五講義「アダム・スミスを手が...
よく知られているように、カントは「判断力批判」において、趣味判断を下すさいに関心が混入することを拒否し、いわゆる趣味の無関心性を要求している。つまり趣味判断は、無関心な満足に基づいて下されなければなら...
情報技術の進展などにより、ビジネスを取り巻く社会環境は急速に変化している。企業不祥事の報道が後を絶たないが、それは企業不祥事自体が増加しえいるからというのではなく、不祥事が暴露される件数が多くなり ....
本論は、「我れは心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(1)という結語をもって、政治・経済や思想・文化など一切の領域において「アジア」から離脱し、ついては中国起源の儒教思想を決定的に捨像し、あ...
アメリカでは、コミュニティの活性化に図書館が不可欠であり、それが民主主義を保障するという認識が広く共有されている。そうした期待を受けて、司書たちがいかに専門的スキル-ライブラリアンシップ-を発揮してき...
前号に引き続き、トゥーゲントハット「論理学講義」(Ernst Tugendhat, Vorlesungen uber Ethik 1993)を紹介する。これまで、第一講義、第二講義、第五講義を、それぞ...
環境問題に具体的な処方を提示するものとして、環境経済学が注目を集めている。本稿では、この新しい学問分野に焦点を当て、その考え方に含まれる問題点について検討することにしたい。環境経済学の根本にあるのは、...
中世の科学者たちは、もっぱら古典的文献の注釈にふけっていた。それに対して技術者たちは、実験と発明に凝っていて、互いに通ずるところがなかった。これが、ルネサンスにおいて、どのようになったのであろうか。 ...
かつて信奉していたヘーゲル的観念論から離脱したラッセルは、ほとんどあらゆる種類のものの存在を認めることによって彼独自の哲学活動を本格的に開始したが、やがて大きな転機を迎え、一つの重要な種類のものを自身...
「倫理学とは何か」を問う場合、ひとまず次のように答えることができるであろう。「できること」を「してもよいかどうか」問うのが倫理学である、あるいは、可能な選択肢のうち、どれが最善であるかを問うのが倫理学...
小説家が文学という手法を取りながら哲学を論じることはあるし、哲学の専門家がフィクションという形をとって哲学について論じることもある。また思想史は哲学と呼ばれる学問の一分野であり、歴史をたどりながら ....
はじめに 日露戦争後の知的言説による朝鮮表象はさまざまな形態をとって編まれる。日韓合併にいたる対韓国政策論、自然発生的に広がる民間の殖民熱に乗じて生産される実業マニュアル、旅行・紹介記による観光案内、...
自己を問うことは他者を問うことでもある。西欧近代思想において、世界認識の主体である近代的自己がその対象に何らかの異質性を認める20世紀以来、自己は他者との緊張関係において改めて主題化される。そこでは、...
目の前に自分の死が見えたとき、人はその死までの時間をどのように生きるだろうか。「平家物語」は、清盛という超越した個性によって急激に隆盛した力が、東国に蜂起した源氏勢に攻め滅ぼされるという平家一門の栄華...